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ウィンスロー(ウィンズロウ、)は、アメリカ合衆国メイン州南部海岸に近いケネベック郡に属する町および国勢調査指定地域であり、ケネベック川に沿ってある。2010年の国勢調査では人口7,794 人だった == 歴史 == ウィンスローは元々タコノックと名付けられたインディアンの居住地だった。ウィリアム王戦争のときの1692年、ベンジャミン・チャーチがボストンから東に向かう3回目の遠征隊を率いて、この地域を通った。この遠征隊は450名居り、ペノブスコット(キャスティン)と現在のウィンスローに有ったインディアンの集落を襲撃した〔The history of the great Indian war of 1675 and 1676, commonly called Philip ... By Benjamin Church, Thomas Church, Samuel Gardner Drake, p.212-214〕。 その後のウィンスローにはプリマス植民地の開拓者が移ってきた。この地域はイギリス王室からピルグリムの総督ウィリアム・ブラッドフォードとその仲間に払い下げられた土地だった。初期の開拓者は、ウィンスロー、ブラッドフォード、ウォーレン、オーティスなど、旧植民地やピルグリムに多い一族だった。これら開拓者の子孫が現在の町でも見られる。 1754年、マサチューセッツ植民地議会の命令によって、セバスティクック川とケネベック川の合流点にある半島に、ハリファックス砦が建設された。その保護下に出現した開拓地は、マサチューセッツのマーシュフィールド出身で、この砦の建設を監督したジョン・ウィンスロー将軍にちなんで名付けられた。ウィンスローは、メイフラワー号で到着したプリマス植民地のピルグリム総督であり、マーシュフィールドの町を設立したエドワード・ウィンスローの子孫だった。ウィンスロー将軍は1699年にその父であるアイザック・ウィンスローが建設した邸宅に住んだ。この歴史あるウィンスロー邸は現在もマーシュフィールドに残っており、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている〔。 セバスティクック川とケネベック川が、開拓初期には食料、製品、さらには開拓者の輸送のための主要ルートとなった。1775年、大陸軍のベネディクト・アーノルドがケネベック川を辿って北上し、ウィンスローでハリファックス砦に停まり、その後カナダ侵攻に向かったが、成果を上げられなかった。ハリファックス砦の兵舎はこの手の木造構造物として国内最古のものだったが、1987年の洪水でケネベック川に流されたために、その後再建された。 19世紀、アメリカ国道201号線のオールド・カナダ道路(現在は景観道路)を通って、数多いアイルランド人やフランス系カナダ人移民が季節労働あるいは工事労働を求めて下り、後にケネベック川流域をその住処にした。ウィンスローの初期開拓者は水力を使って工業を発展させた。現代のウィンスローはケネベック川沿いにあったホリングスワース・アンド・ホィットニー・カンパニーの製紙工場を中心に発展した。この工場は後にスコット製紙会社に買収され、スコット社がキンバリー・クラークと合併したことで、1997年には閉鎖された。ウィンスローの工業の衰退は1980年代に始まったが、現在も小さな軽工業が幾つか残っており、新事業が町に入り続けている。これにも拘わらず、サービス業は限られたものになっている。ウィンスローは近くのウォータービル市やオーガスタ市で働く中流、および上中流階級にとってのベッドタウンとなっている〔 〕。 ポール・ニューマン、エド・ハリス、ヘレン・ハントが出演し、2005年にHBOケーブルテレビで放映された『Empire Falls』はウィンスローで撮影された。この映画は小説家リチャード・ルッソが2001年に出版した同名小説を翻案したものだった。ウィンスローでは、毎年7月4日のアメリカ独立記念日にメイン州最大の花火大会が開催されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィンスロー (メイン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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